2006年3月23日 (木)

「まん丸の空に」樋口直哉(すばる2006年4月号)

 催涙スプレーで人が襲われた。犯人は自分の通う学校の制服を着ていたという。どういうわけか同級生の女は主人公が犯人と疑っている。女と現場に向かう主人公は、徐々に自分が犯人ではないのかという疑念に包まれていく。テストに他人の名前を書いてしまったり、知らない間に防弾チョッキを着ていたり、最近の自分の行動と思考に自信が持てないからだ。

 女の疑念はなんとか晴れたが、主人公の自分自身への疑いは晴れない。極めつけは鞄から催涙スプレーそのものが出てきたことだ。本当に自分は犯人ではないのか、犯人が捕まったと聞いても、それは自分以外の犯人だということにすぎない。彼の不安は最後に現実となる。

 夢遊病者のように、自分のしたことに対して、記憶がない男。何が原因でこうなってしまったのかわからないが、こんな状態ではとてもまともな生活はできない。彼はそうした不安に終止符を打つために、催涙スプレーに救いを求めたのであろうか。

 人間はもともと、恣意的な存在で、すべての行動と選択に対して、確固たる理由をもって判断を下しているわけではない。なんとなく、といった感じでずいぶん多くのことを決めているものである。そういうなんとなくが積み重なって、実は今の自分に至っているわけだが、あまり普段そういうことは感じていないものである。

 よく犯罪者で、魔が差したとか、悪魔が自分の中に入ってきたとか言う者がいるけれど、それは実際、なんとなくの延長線上にあるカタストロフィであり、ふとしたきっかけで誰の身にもふりかかるものなのかもしれない。

(すばる2006年4月号)

月とアルマジロ
月とアルマジロ樋口 直哉


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