2005年11月23日 (水)

「拍手と手拍子」佐藤弘 (新潮2005年11月号)

これは普通に読めば、いわゆるそのへんにいる大学生たちのままごとみたいな恋愛をめぐる青春小説だと思う。複数の女とセックス目当てで都合良くつきあい、授業もバイトも含めた自分を取り巻く世間一般には何のコミットもせず日々なんとなく過ごしている様子を一読して、ああ大学生はヒマでいいなと思ってしまった。先頃、群像に掲載された前田司郎の「愛でもない青春でもない旅立たない」にも似たような雰囲気を感じたが、あれはまだ「何もやらない」という逆説的な意志めいたものを感じたのだが、これにはそれすら無い。

 なんなんだこれはと思ったのも正直なところだったが、読んだ後、様々な反芻しているうちに、もしかしてこれは敢えて誰も触れない「恋愛の正体」を無意識のうちに語っているのではないかと思うようになった。相手の人格より性欲優先。他人の気持ちより自分の都合。かなり男女とも利己的な振る舞いが強調されて描かれている。考えてみると、そういう人物は今どきの小説やTVドラマでは主人公には選ばれない。観る人々に共感や憧れを呼び起こさないからだろう。しかし現実はまるで反対で、この小説に出てくる大学生みたいな無自覚な利己的行動を恋愛と称している者が大部分だ。だからこそ純愛などという言葉が逆にもてはやされる。

 彼らは現状に恐怖も感じている。次の一節がそれを端的に表している。

「でも、オレは本当にたまに思うんだけど、ずっとこんな調子で付き合って別れてって繰り返してそのままなんとなく結婚しそうでさ、恐いんだよ。セックスとかしてるとさ、途中で分からなくなるんだよ。本当に好きなのかどうか。なんでこんなことしてるんだろうって。急に冷めちゃって。好きじゃない人としてたほうが全然気持ちよかったりしてさ、のめりこまないんだよ。分からなくなるわけ。」

 まあ実際誰だって少なからずそうでしょう。しかしそれを正面切って言う人がメディアの世界では目立たなかっただけである。彼らの恋愛の理想はどこにあるのか?やはり世間一般で素敵とされている純愛の方向なのか。ドラマチックな運動性に満ちた恋愛でも演じたいのか。
 しかし恋愛の正体はそんなところにはない。恋愛の正体は、彼らがまさに恐怖するように「ぼちぼち」なのだ。ぼちぼちの相手と繋がって、ぼちぼち暮らす。その「ぼちぼち」を受け入れるところから真の恋愛が始まるわけだが、純愛に犯され切った者たちにはそれが見えない。本当は「ぼちぼち」の中にこそ語るべき面白さがずいぶん隠されているのだが。

 期せずして、この小説はいまどきのヒマな大学生の生活を切り取ることによって、現実的な恋愛の正体のしっぽみたいなものを偶然掴んでいると言ったら褒め過ぎか。
(新潮2005年11月号)

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