2006年2月 7日 (火)

「チョコレート工場の娘(不登校篇)」宮崎誉子 (群像2006年2月号)

 学校が嫌になり、父親の経営するチョコレート工場で働くことにした娘、ルリ。
 チョコレート工場といって連想されるのは、ティム・バートンの映画だが、まさに設定(小学生が工場で働く)はそんなおとぎ話のようである。しかしそこに描かれる工場のディテールはリアルそのものだ。

  私もその昔、パン工場やお菓子工場でバイトしたことがあるが、こうした工場はパンやお菓子といったファンシーな響きからは到底想像できないような過酷な現場である。そうした中では、人間の本性がふと顔を覗かせるものだ。
 大人からの屈折したいじめ、偽善、憐れみなどを一身に浴びながら、彼女は日々、工場で働く。学校から逃げて来た先も似たような地獄だったようだ。ここから先、彼女はどこへ向かえばよいのか。そんなことを心配してしまう結末だ。

 宮崎誉子は一貫して、学校や会社という「行くことがあたりまえ」とされている場所に対して、素朴な疑念を持っている。なぜ人は学校や会社という嫌な場所に、疑問も持たずにせっせと行くのか。大人からは笑われそうなそんな疑問を、彼女はルリという子供を通して訴える。 いまどき口語体の軽い文章に攪乱されていると、見逃してしまうことが多い、とても繊細な作品である。
(群像2006年2月号)

日々の泡
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2005年10月29日 (土)

「ガシャポン ガールズ篇」宮崎誉子 (群像2005年10月号)

 主人公のあたしは小学6年生。担任に嫌われている。しかし、前の担任だった山口先生にはプライベートでもつきあう仲だ。クラスメートの白石さんは、うざい存在だが、友達のようなふりをしている。あたしはたぶん生意気で醒めているけれど、溢れるほどのせつなさを抱えている。でもそのせつなさを誰かに甘えることで減らしたりはしない。

 宮崎誉子は静かに進化している。今回の作品でもその進化ぶりは目を見張るばかりだ。
 作家は何かに後押しされながら物語を吐き出すものだが、彼女にとってそれは何だろうか。
 わずかなエッセイなどを読む限り、それほど多くのものを書きたいわけではないようだが、この進化ぶりを目の当たりにしたのでは、嫌でも書いてもらわねばなるまい。中原某が断筆に近い状況である今、彼女に託されたものは少なくない。
 10年後にはたぶんレトロになっているだろうが、ある時代に生きた少年少女の鼓動音が確かに伝わってくる作品だ。今では安易に甘酸っぱいレトロさを醸し出す目的でCMソングなどに使われてしまうことも多いフリッパーズ・ギターのようにも思える。

 ガーリッシュなどと形容されることも多い作者だが、今回も切れ味確かな「少女」を創り出した。いそうでいない、ひょっとすると、どこかに実際にいるのかもと思わせるような10代。現実と虚構の狭間に生息する、今の時代にしか呼吸できないような若い生き物に生命を吹き込めるのは、今の文学では彼女しか見当たらない。
(群像2005年10月号)

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