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2006年4月 7日 (金)

「異境」楠見朋彦 (すばる2006年4月号)

 台湾を旅する最中に腹痛に倒れる主人公。彼はとある場所で知り合った老人の親族に会うために台湾にやってきていた。腹痛も幸い軽いもので済み、老人を知る者にも会うことができた。

 実は彼自身のルーツも台湾に繋がるもので、この旅は彼にとっても深い意味があったのだ。彼は偶然会えた老人の知り合いを通して、自分自身の原形も感じたかったのかもしれない。しかしルーツがどうあれ、彼は既に日本人であり、台湾は異境としての壁を厳然と示していた。

 人は過去から現在を見ることで自分を規定する。自分の知らない過去と対峙し自分を更新する作業は想像するに相当辛いことだろう。異境とは単に空間的なものではなく、見知らぬ新しい自分という内面的なものでもあるのだ。

(すばる2006年4月号)

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2006年4月 6日 (木)

「天の穴」高樹のぶ子 (新潮2006年4月号)

 今回から始まった新企画「アジアに浸る」。九州大学特任教授になった高樹のぶ子が、アジア各地の作家の意欲作を紹介しながら、自作も並べて発表していくというもの。どうやらこの先5年も続けていく予定らしい。

 第1回はフィリピン篇。フィリピン作家のG.C.ブリヤンス「アンドロメダ星座まで」が紹介されている。これは作者の幼少時代の原風景がモチーフになっているものだが、どうしてもこういう原風景的な作品は、その育った環境というものを全く知らないため、味わい方が手探りにならざるをえない。例えば、外国人に「三丁目の夕日」を理解しろといっても無理なことと同様である。

 空つながりということで書いたのか、高樹の作品は、台風の話である。台風の目を見たいという少年を偶然街で拾い、一緒に台風の目を見に行くという小品である。妙に気象や宇宙知識に詳しい子供で、どこかこの世の者でないような雰囲気さえ漂う。台風の穴からは何かが降ってくるとも語る。それはかつて台風で吹き上げられた人間や物が落ちてくるということらしい。穴からは何も落ちてこなかったが、なぜかマンゴーの匂いがしてきた。遠い空から運ばれてきたその匂いがアジアとの繋がりを感じさせてくれる。

 私も何度か体験したが、九州の台風というのは関東などで体験するものと威力が違う。近づくにつれ、街全体の標高が急に上がったように空気が薄くなる。その緊張をはらんだ息苦しさを一度でも味わうと、この作品の匂いがいっそう感じられるようになると思う。
(新潮2006年4月号)

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2006年4月 5日 (水)

「恋愛の解体と北区の崩壊」前田司郎 (群像2006年3月号)

 前作でも不定型でとらえどころのない人間を描いていた作者だが、今回もまた似たような前田節を聞かせてくれる。
 宇宙人が東京に来襲。しかし主人公の男はさほどの驚きもなく、いつもと変わらない生活を送っている。恋愛の本質について考えたりしていると思ったらコンビニのレジで順番抜かしをされ殺意を覚えたり、急に思い立ってSMクラブに訪れたりする。

 彼のちっぽけで無意味な行動を理解できずに笑うような人もいるかもしれない。しかし世の中に一大事が起こっていてもだいたいの人はそんなものだ。特に自分の身に直接降りかかっていないような話は、所詮テレビの中の出来事に過ぎない。ニュースがワイドショー化し、事実とやらせとの境界線が曖昧になった今ではなおさらだ。実際、宇宙人が来たからといって、何をすれば最適なのかなんて誰にもわからない。
 
 この作品の良いところは知ったような安いメディア論を説かないことだ。彼は確固たる考えがあって、宇宙人来襲の夜にSMクラブに行くわけではない。なんとなくそういう気分だったからに過ぎない。
 作者は巧妙にあらゆる意味付けから逃れようとしている。それもわざわざ意味や批評性の高い事物にニアミスしながら。この作品に出てくる宇宙人やSMを記号的に捉えようとしても無駄だ。今までそういうモチーフを記号化し意味を持たせることによって初めて小説はそこに文学の風味を出していたわけだが、そういう作業を彼はすっぱりやめてしまっている。
 宇宙人を出した以上こう描かないといけないとか、SMを出すならこういう批評精神の下に書かねばならないというのは、すべて文学的な既成概念に囚われたものだ。

 これを読んで何の深みもないと思う人も当然いると思うが、深みを無理に出そうとしていた今までの文学のほうがおかしいかもしれない。些細なコトを大袈裟に扱い、まるでそこに大問題が隠されているかのように描くことは、ある意味、テレビのやらせと似たようなことだ。
 些細なことを些細なまま描くのが実はもっとも難しい。

(群像2006年3月号)

 

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star共感。愛でもないし旅立たないし、青春でもないかも。

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2006年4月 4日 (火)

「点滅……」中原昌也 (新潮2006年2月号)

 作者には珍しい百枚もの長(?)編。内容は相変わらず不条理と書くことへの呪詛で塗り固められている。
 しかしどこか今までの短編にはなかったものが感じられる。
 それが何かはうまく言語化できないが、不条理に対する怒りの質が違うような気がする。

 彼が作り出す主人公の怒りは作品内に留まらず、読者に対してもその矛先を向けてきた。だが今回は怒りというより哀しみに似たもので、それも読者へというよりは同業者(作家や編集者)に対して発信しているように思われる。たぶん彼の言う、書くことの哀しみは同業者しか共有できないものなのだろう。

 今回の作品は深読みしようと思えばいくらでも深読みできるイメージに溢れている。
 誰もいないステージ、中止になったことを知らされないという疎外感、デパートで遊ぶ弛緩した家族連れなどなど。
 しかしそれらについて深く言及すればするだけ、彼の哀しみは深くなるのだ。
 
 思わせぶりの小説に、知ったような批評。こうした嘘っぽい関係にとことん彼は絶望している。
 と、書かれることさえも彼にはもう不快だろう。
 では、どうするのが、もっとも彼にとって本望か。
 正直、わからない。もしかすると読まないことが一番双方にとって幸せなのか。
 こうして皮肉にも、彼の拒絶に満ちた作品を通して、改めて我々は、小説を書くことの意味を考えることになる。 
(新潮2006年2月号)

名もなき孤児たちの墓
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2006年4月 3日 (月)

「まーやー」遠藤徹 (新潮2006年4月号)

 古代神話を彷彿とさせる登場人(?)物達がうごめきあう怪作。
 作者は「姉飼」など妖幻なタッチのミステリーで知られている。

 純文学誌を意識したのか極めて観念的で難解な内容。
 灼熱の太陽で炙られるアダムとイブのような男女や、天照大神のような絶大な力を持つ存在、古代中国の皇帝風の一族などなど、古今東西の超絶的力を持った者たちのイメージを総動員されている。

 世界を変える使命にまつわる壮大な物語らしいのだが、いかんせん話が短すぎて、正直よくわからない。
 神々の持つスケール感を出すには、もっと枚数を費やす必要があるようだ。

(新潮2006年4月号)

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2006年4月 1日 (土)

「ヌード・マン・ウォーキング」伊井直行 (新潮2006年3月号)

 全裸になり路上を歩くことをひそかな趣味としている細川。彼は極々平凡なサラリーマンで、きちんと妻子もいる。唯一、人と変わっているのはこの全裸での散歩趣味である。もちろん全裸で歩くことには様々な困難が伴う。発見され変質者として通報される危険がある。そのため彼はそれを実行するために実に用意周到に準備を行う。

 そこまでして彼がその趣味にこだわるのはどうしてか。彼曰く、裸になることで世界と直に繋がることができるのだという。
 家族は彼の趣味に気付いているのか微妙だ。娘などは彼が全裸のまま帰宅したところを目撃したはずなのに何も言わなかった。もう何か言っても無駄だと思っていたのだろうか。

 細部にまで気を配り、ヌード・マン・ウォーキングを楽しんできた細川だったがついに発見され追い詰められる時がやってきた。それは時代が変わり行く中で迎えたしかたのない結末とも言える。
 追い詰められた彼は突如、木になる。木のふりではなくて本当に木になってしまったのだ。
 これで彼は文字通り、裸のまま世界と直に繋がることができたのだ。木となった彼はそのまま永い時間を過ごす。様子を見に来ていた娘もやがて年をとり、老婆となりやがて姿を見せなくなる。その後、いくつもの災害が街を襲っても、彼は生き続けた。その間、途方もない時間が流れていく。この最後の下りは、妙な感動さえ覚える。なにか諸星大二郎のSFを読んだような感じである。

 街で全裸になるという試みは、偶然にも、群像3月号「恋愛の解体と北区の滅亡」(前田司郎)にも登場している。また3月に刊行される平野啓一郎の作品も裸にこだわっている。全裸行為へのアプローチはそれぞれ違うけれど、裸になるということに作家達は何かを敏感に感じ取っているのだろうか。
(新潮2006年3月号)

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