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2006年4月 1日 (土)

「ヌード・マン・ウォーキング」伊井直行 (新潮2006年3月号)

 全裸になり路上を歩くことをひそかな趣味としている細川。彼は極々平凡なサラリーマンで、きちんと妻子もいる。唯一、人と変わっているのはこの全裸での散歩趣味である。もちろん全裸で歩くことには様々な困難が伴う。発見され変質者として通報される危険がある。そのため彼はそれを実行するために実に用意周到に準備を行う。

 そこまでして彼がその趣味にこだわるのはどうしてか。彼曰く、裸になることで世界と直に繋がることができるのだという。
 家族は彼の趣味に気付いているのか微妙だ。娘などは彼が全裸のまま帰宅したところを目撃したはずなのに何も言わなかった。もう何か言っても無駄だと思っていたのだろうか。

 細部にまで気を配り、ヌード・マン・ウォーキングを楽しんできた細川だったがついに発見され追い詰められる時がやってきた。それは時代が変わり行く中で迎えたしかたのない結末とも言える。
 追い詰められた彼は突如、木になる。木のふりではなくて本当に木になってしまったのだ。
 これで彼は文字通り、裸のまま世界と直に繋がることができたのだ。木となった彼はそのまま永い時間を過ごす。様子を見に来ていた娘もやがて年をとり、老婆となりやがて姿を見せなくなる。その後、いくつもの災害が街を襲っても、彼は生き続けた。その間、途方もない時間が流れていく。この最後の下りは、妙な感動さえ覚える。なにか諸星大二郎のSFを読んだような感じである。

 街で全裸になるという試みは、偶然にも、群像3月号「恋愛の解体と北区の滅亡」(前田司郎)にも登場している。また3月に刊行される平野啓一郎の作品も裸にこだわっている。全裸行為へのアプローチはそれぞれ違うけれど、裸になるということに作家達は何かを敏感に感じ取っているのだろうか。
(新潮2006年3月号)

青猫家族輾転録
4103771046伊井 直行

新潮社 2006-04-27
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