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2006年4月 4日 (火)

「点滅……」中原昌也 (新潮2006年2月号)

 作者には珍しい百枚もの長(?)編。内容は相変わらず不条理と書くことへの呪詛で塗り固められている。
 しかしどこか今までの短編にはなかったものが感じられる。
 それが何かはうまく言語化できないが、不条理に対する怒りの質が違うような気がする。

 彼が作り出す主人公の怒りは作品内に留まらず、読者に対してもその矛先を向けてきた。だが今回は怒りというより哀しみに似たもので、それも読者へというよりは同業者(作家や編集者)に対して発信しているように思われる。たぶん彼の言う、書くことの哀しみは同業者しか共有できないものなのだろう。

 今回の作品は深読みしようと思えばいくらでも深読みできるイメージに溢れている。
 誰もいないステージ、中止になったことを知らされないという疎外感、デパートで遊ぶ弛緩した家族連れなどなど。
 しかしそれらについて深く言及すればするだけ、彼の哀しみは深くなるのだ。
 
 思わせぶりの小説に、知ったような批評。こうした嘘っぽい関係にとことん彼は絶望している。
 と、書かれることさえも彼にはもう不快だろう。
 では、どうするのが、もっとも彼にとって本望か。
 正直、わからない。もしかすると読まないことが一番双方にとって幸せなのか。
 こうして皮肉にも、彼の拒絶に満ちた作品を通して、改めて我々は、小説を書くことの意味を考えることになる。 
(新潮2006年2月号)

名もなき孤児たちの墓
4104472026中原 昌也

新潮社 2006-02-23
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