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2005年11月21日 (月)

「ぜつぼう」本谷有希子 (群像2005年11月号)

 「電波少年」を彷彿とさせる海外放浪企画で一躍有名になったが、その後人気が急落したお笑い芸人、戸越。「あのひとは今」状態に耐えられず、世間に背を向けて過ごす。こうした状況に陥ったのも、そもそもは自分を世に出したTVのプロデューサーのせいだと呪い、復讐を誓う。自分の才能の無さを棚に上げた、なんとも都合のいい八つ当たりである。ある日出会った謎の男が、その復讐の手助けをしてやるから、準備が整うまで自分の田舎の実家を貸すので住めと言う。
 半信半疑でその田舎に向かう戸越。そこで待っていたのは、シズミというこれまた謎の女であった。よそ者を嫌う田舎社会に受け入れてもらうために、戸越はシズミの助言で、シズミの夫という別人格を装う。幸い田舎の人々はテレビに疎く、戸越がお笑い芸人であることに気付かない。群像の創作合評でも指摘されていたが、田舎だからテレビに疎いという前提には疑問がある。情報・娯楽に飢えている田舎のほうが、むしろテレビについては詳しいのではないだろうか。
 まんまと別人格になりすまし、田舎に溶け込んだ戸越だったが、ある日シズミの本当の旦那が現れ、あっけなくシズミは連れ去られる。シズミに対して極力、恋愛的な心情を持たないようにしていた戸越だったが、知らないうちにシズミは彼の心の多くの部分を占める存在となっていたことに気付く。
そのうち、謎の男が現れ、例の復讐の準備が出来たと告げる。戸越は様々な複雑な思いを引きずりながら、田舎を去り、東京に向かうのだった。

 改めて驚くのは、戸越が田舎で過ごした時間がたった十日間であったということだ。物語のほとんどが田舎での生活で占められているので、半年いや一年くらいの時間が過ぎたような感覚を覚える。もしかすると、そこはおとぎ話に出てくる村の如く、時間が外界とは別の速度で進む桃源郷のような場所だったのか。まるで浦島太郎の竜宮城、「千と千尋の神隠し」の町のように。そうでも思わないと、納得いかない部分が多すぎる。だいたいたった十日でどうしてこれほどまでに知らない田舎に馴染み、知らない女に深く思い入れができるのか。

 戸越の抱く失意の感情は「絶望」ではなくひらがなの「ぜつぼう」だ。それはまるでテレビでつくられたような甘くぬるい絶望である。なんのしぶとさもなく、落ち目ということを逆手に取るほどのしたたかさもない、なんとも「ぬるい」芸人が抱く絶望はハリボテでスカスカの「ぜつぼう」がよく似合っている。戸越自身もそれはわかっていて、「本当の絶望」を見出したくてもがく。しかしもがけばもがくほど、絶望は遠ざかり、絶望できない自分に苛立っていく。
 お笑い芸人にしては、自分を笑うセンスもなく、ただひたすら自分探しに終始し、自分が誰にとって必要で、何を求められているかについては耳を閉ざすその姿勢には正直うんざりするが、それもまた現代のある人種のリアルな姿なのかもしれない。
(群像2005年11月号)


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