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2005年11月20日 (日)

「ジョン・シルバーの碑」稲葉真弓 (群像2005年11月号)

 突如、難病に襲われ、片足を失うことになった母。母の病気は、家にあった古い井戸の因果であるという。主人公は井戸の供養をし、子供の頃の井戸との関わりに思いを馳せる。
 古い井戸が母の病気と関係していると言ったのは、どこかの尼さんらしいが、まともな仏教の尼さんならば、決してこんなオカルトめいた事は言わないはずだ。そもそもこうした安易な結びつけは、「因果」とは言わない。因果は自分自身の中に原因と結果があるという極めて分析的な思考に則ったものだ。たまたま近くにあった不吉なイメージを母の病気というものに短絡的に結びつけるということは、仏教でいう「執着・無明」の状態だと思う。母の病気の原因は冷静に見て、様々な要素が絡み合っているはずなのに、そういう多くの可能性が見えず、井戸だけを選ぶというのは、偏った執着に囚われている。

 しかし、そうは言っても、肉親の病気などに直面したような心が弱っている状況においては、かなりの心の鍛錬をしていないと、こうしたオカルト因果話に身をゆだねてしまいがちだ。その気持ちはよくわかる。そういう安易な物語に乗ったほうが、楽であるし。
 片足を失った母に対して、真っ正面に向き合い、その事実を受け入れるには、こうした物語が彼女には必要だったのだろう。しかし、本当に母のことを思うのであれば、なおさら井戸で決着をつけてはいけなかったのではなかろうか。
 きっと井戸は、母の病気とは関係なく、彼女の中でいつかは解決しなければならない存在だったのだ。それがたまたま母の病気という事件をきっかけにして顕在化したのだ。
 井戸は彼女にとって、どんな存在だったのだろう。それはもしかしたら彼女自身も気付かないような、自分を家に縛り付ける束縛の象徴だったのかもしれない。ともかく彼女は井戸との関係を清算することができた。それは母が自分の片足を差し出して娘に与えた解放への扉だったのだ。
(群像2005年11月号)

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