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2005年11月 1日 (火)

「うつつ・うつら」赤染晶子 (文學界2005年10月号)

 幻想的なタッチで描かれる芸人たちの物語。この作者の筆にかかると、どんな世界もセピア色に変化する。前作は旅行代理店を舞台にした話だったが、京都という場所設定も手伝って、どこか懐かしいレトロ感があった(話は店が洪水に襲われ、トイレが溢れるといった結構過激な展開なのだが)。
 今回も場所は京都。舞台は時間が止まったような寂しさを漂わせる演芸場。何十年も同じネタを繰り返し、ブレイクの兆しも見えない芸人、マドモワゼル鶴子が主人公である。彼女が舞台に立つと、階下の映画館から毎回同じセリフが漏れ聞こえてくる。同じネタを繰り返す鶴子と同じ映画を毎日上映する映画館。そう、そこは永遠に時間がループしている世界なのだ。
 加えて、楽屋では、少女漫才師の小夜子が「ほっちっちー」と壊れたレコードのように繰り返し歌っていて、なんだか頭が痛くなるような状況である。
 肝心の、鶴子らが演じるネタがもう少し面白ければ、なんとか楽に読めるのだが、どうにも暗くて笑えず、それがかえってこの奇妙な世界を色濃くしているようでもある。
 
 笑いの世界は新陳代謝が激しい。去年流行ったセリフも今年はもう古くなって、誰も笑ってくれない。年々その消費のスピードは加速されている。
 ひとつのギャグで一生食べていけたら、芸人もどんなに楽だろうか。今、流行の絶頂にいて寝る暇もないお笑いのトップも、いつ自分の賞味期限が来るのか戦々恐々としているのが現実だろう。ずっと今のままでいたい。これは売れている芸人にとって、ひとつの夢だろう。それには時間が止まればよいのだ。
 その夢の世界がここにある。しかし、ひとつ違うのは鶴子達は、売れていないということだ。これは間違いなく悪夢である。しかし鶴子たちは希望を忘れない。彼女らは毎日同じ舞台に立つ中で、コトバだけの存在になり、名前が消えて純化していく。それは、現実のお笑いの歴史の縮図を見るようでもある。
 芸人の名前は忘れられても、ギャグのフレーズだけは残るのだ。
(文學界2005年10月号)

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